あんパン クリームパン ジャムパン

私の住む街には、あちこちにおしゃれなパン屋さんがあります。
お気に入りのパン屋さんがあって、そこはバックヤードに喫茶室もあり、
無料のコーヒーを提供してくれるのです。
小さめのあんパンと、紙コップのコーヒーのひとりモーニングは、
ささやかですが、至福の時間です。

 

先日、友だちから「美味しいクリームパンの店、知らない?」と聞かれました。

入院中のお姉さんのお見舞いに、持参したいとのこと。

「シュークリームの美味しいお店は知っているけど...。」と私。

美味しいパン屋さんは、すぐ頭に浮かびましたが、

クリームパンを見かけた記憶がありません。

売っていたかもしれませんが、もともとクリームパン派ではないので

眼に入らなかったのでしょうか。

そう言えば、ジャムパンはどこへ行ったのでしょう。

げんこつの形をした、中に赤いジャムの入ったシンプルな菓子パン…。

 

ジャムパンには、幼い日の、ちょっと切ない思い出があります。

 通っていた幼稚園のすぐ隣に神社がありました。

ある時、園外学習だったか何かで、神社の境内にシートを敷いて

大勢の園児が座っていました。

先生が青空を指差して言いました。

「みなさーん、あの雲は何に見えますか?」

すると、「ヨット!」とか「ぞうさん!」とか「ひこーき!」とか、

いいろんな声が飛び交いました。

私は、げんこつの形をした雲を見つけて、得意げに言いました。

「ジャムパン!」

すると先生は、「まあ、●●ちゃんったら。」

そう言って、クククッと笑ったのです。

「ほんとね。」と同意して貰えるとばかり思っていた私は「???。」

もっと不思議だったのは、みんなも一緒にアハハと笑ったことでした。

 

なぜ笑われたのか何となくわかったのは、ずいぶん経ってからです。

きっと先生は、私がくいしんぼうだから雲がジャムパンに見えたと

思ったのでしょう。

そして、みんなが笑ったのは、先生が笑ったから、あまり意味も考えず、

つられて笑ったのではないでしょうか。

(違う見解がありましたら、ぜひ聞かせて下さいね。)

 

先生もみんなも、悪気なく笑ったのだと思います。

その時味わったであろう切ない気分は、もうすっかり消えました。

でも、5・6歳の記憶が、何十年経った今でも残っています。

子どもも、プライドを持ったひとりの人間なのだということを

改めて思ったことでした。

 

 

 

 

 

 

 

秋の庭仕事

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庭仕事と言うほど、たいそうな事ではありませんが、

久しぶりに土いじりをしました。

焼けつくような夏の間、ほったらかしにしていた庭は、

ユズやスダチの枝は伸び放題、あちこちで雑草がはびこっていました。

 

一番気になっていたのは、庭の片隅に造った小さなミョウガ畑です。

夏の間、そうめんや冷ややっこの薬味に、毎年とても重宝しますが、

今年は収穫量も少なく、形も貧相でした。

こんな時は、ネット情報が頼りになります。

ミョウガは地下茎で増えるので、3~4年も経つと根が密集するので、

掘り起こして植え替えると、また丸々と太ったミョウガが育つのだそうです。

さっそく、雨が上がった午後、掘り返しました。

しっかり根を張ったミョウガは、少々のことではびくともせず、

小さな小さなミョウガ畑なのに、びっしょり汗をかきました。

でも、来年の夏のお楽しみのためなら、どうってことありません。

エーンヤコーラ!です。

 

ミョウガには、こんな失敗談があります。

3・4年前、初めてミョウガを植えたのですが、

待てど暮らせど芽が出て来ません。

もう根付かないのだと諦めて掘り返したところ、

芽がUの字の形についていました。

下向きに伸びかけた芽が、地上を目指して伸びようとして

そんな形になったのでした。

私は、地下茎には上下があることを知らなかったのです。

上向きに植え直したら、ちゃんと立派なミョウガが育ってくれました。

 

失敗談その②です。

タケノコ料理には山椒が欠かせません。

スーパーで売っている山椒の葉っぱは、ほんの少しなのに

2~300円もするので、私はいつも小さな山椒の鉢植えを買って、

必要な分だけ利用していました。

タケノコが大好きなので、タケノコの季節が終わる頃には

山椒の鉢植えは、丸裸になりました。

暫くすると、山椒は黒い針金のようになって枯れてしまいます。

次の年、また新しい山椒の鉢植えを買うということを

何年か続けていましたが、ある年の春、処分し忘れていた鉢植えの山椒に、

黄緑色の小さな葉っぱがびっしり吹き出しているのを見つけました。

黒い針金のようになっていても、山椒は枯れてなんかいなかったのです! 

その時の山椒は、地植えにしたせいか、どんどん大きく育ちました。

今では、若い葉っぱを惜しげもなく収穫しても、

もう丸裸になることはなくなりました。

 

小さな庭のささやかな仕事ですが、もたらしてくれる喜びは
決して小さくありません。

ミニイチジクも、今年初めて何粒か収穫できました。

スダチも、小さい粒ながら、たくさん採れました。

でも、ユズは見事に一粒もありません。(どうやら、隔年に実るようです)

花友だちに貰った蕗は、来年の春にフキノトウを芽吹かせてくれるでしょうか。

  

さあて、そろそろ掘り返したミョウガを植えつけることにします。

あ、食べ物のことばかりでしたね(^_-)-☆

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

樹木希林さんの告別式、也哉子さんの喪主代理挨拶に感動しました

樹木希林さんが亡くなりました。

その生き様が、多くの人の感動を呼んでいます。

亡くなった今、「すごい人だったんだなあ」と

認識を新たにしています。

こんな魅力的な人と出会ってみたかったな…。

 

でも、実際に樹木さんと会ってたら、どうだったんでしょう...?

ちょっと想像が出来ません。

すごく仲が良くなったような気もするし、

大の苦手で敬遠していたかもしれないし。

多分、そのふり幅の大きさが、樹木さんの魅力の秘密なのでしょう。

樹木さんと対等にお付き合いできる人は、樹木さんと同じくらい

パワーのある人ではないでしょうか。

私なんか、鋭い指摘に言い訳もできず、ただただ圧倒されっぱなしで、
遠くから眺めていただけのような気もします。

 

では、母親としては、どうだったのでしょうか。

9歳?だったひとり娘の也哉子さんが外国にホームステイした時、
ただの一度も樹木さんから連絡がなかったそうです。
也哉子さんが苦笑まじりに「見捨てられてました。」と語っていました。
樹木さんの教育方針なのか、信念なのかわかりませんが、
凡人の私にはちょっと理解が出来ない話です。

そのあたりの微妙な感じを、也哉子さんが

告別式の喪主代理挨拶の中で語っていました。

でも也哉子さんは、個性的(過ぎる?)な両親の間で心を乱しながらも、

素敵な女性になられました。

ひとりの人間として、優れた俳優として、そして母親として、
樹木さんを尊敬されていたからなのでしょうね。

そうでなければ、あんな素晴らしい喪主代理挨拶挨拶が出来るはずがありません。

 

「おごらず、人と比べず、面白がって、平気に生きて行きなさい。」

こんな素敵な言葉を娘に遺して、本当にそのように生きて、

人びとの心に何かを遺して行かれました。

夫の内田裕也さんの言葉も素敵です。

「見事な女性でした。」

夫から、こんな言葉で送られるなんて、

樹木さん本人の言葉をお借りして、

本当に「上出来の人生でした。」ね。

 

 

 

ジャンケン必勝法?

ジャンケンがめちゃくちゃ弱いことを自覚したのは、

テニスの仲間で、プレイの順番を決める時でした。

借りたコートは2面で、仲間は10人。

ダブルスなので、当然2人は順番待ちになります。

どういうわけか私は、この順番待ちの2人に、

ほぼ毎回といってもいいくらいの確率で入ってしまうのです。

まあ、順番待ちはいいとしても、なぜ私だけ

いつもドンべか、よくて後ろから二番目になるのか

不思議でなりませんでした。

 

グー、チョキ、パーが出る確率は、そんなに変わらないはずです。

「何かジャンケンの法則があるのかもしれない。

そんな研究をしたら面白いだろうな」と思っていたら、

何かの本に、グーやパーより、チョキは出しにくい、と書いてありました。

実際にやってみると、確かにその通りです。

その時、ふと私は、いつもパーを出していることに気付きました。

「ジャンケン!」と言うときは、グーの形をしていますよね。

「ポン!」と言うとき、私は何も考えず、反射的にパーを出していました。

みんなは私の癖を見抜いて、チョキを出していたんですね。

どおりで…。

 

「まあ、見てなさい。今までの私じゃないもんね。」

私は、反射的にパーを出さないように気を引き締めました。

そして、次は何を出そうか、ちゃんと考えるようになったのです。

その結果、簡単にドンべになるようなことはなくなりました。

それからもう一つ、いいことを発見しました。

これ、ナイショの話ですよ。

チョキを出すと、割と勝率がいいのです。

何故なら、以前の私のように、何にも考えず、

反射的にパーを出す人がいるからです。

 

でも、やっぱり、今もジャンケンは強くありません。

簡単には負けなくなったけれど、気合負けと言うか、

アイコが続こうものなら、心臓がバクバクしてきます。

ジャンケンに勝つには、「勝とう!」という気合が必要なんですね。

 

すみません。

あまり参考にならない「ジャンケン必勝法」でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

サンタクロースが来なくなった日 ②

 さて、娘たちに一日でも長くサンタさんに来て貰いたかった私は、

あの手この手を使いました。

 

サンタクロースが暮らしているというフィンランドに、
エア・メールで手紙を出しました。

ちゃんと、フィンランドから返事が来たんですよ。

英語やフランス語や中国語など、何か国かの文面が印刷されていて、

サンタさん自筆?のサインが入っていました。

私は内心「ま、こんなものか」と醒めていましたが、

娘たちは「サンタさんから返事が来た!」と大喜びです。

 

「サンタクロースって いるんでしょうか?」という絵本を

いっしょに読んだときは、質問攻めに。

「家は煙突がないのに、どこから入って来るの?」と聞かれると、

「玄関から入って来るよ。」と答え、

「鍵がかかっているのに、どうして入れるの?」と聞かれれば、

「マスター・キーというカギを持ってるから、どこの家にも入れるよ。」

と答えました。

「みんなは、サンタさんはいないって言うよ。」と言われたときは、

「サンタさんが来てくれない子は、お父さんやお母さんが

サンタさんに代わってプレゼントを置いてくれるんだよ。」と答えました。

何だか納得できない様子の娘に、私は声を潜めて言ったものです。

「もしサンタさんがお母さんだったら、おもちゃなんかプレゼントする?」

「ううん!」と首を横に振る娘たち。

(実は、私は、おもちゃはクリスマスだけ、と決めていたのです。)

「サンタさんはいないと思ったとたん、来てくれなくなっちゃうんだよ。

その時は、お父さんとお母さんがサンタさんになってあげるからね。」

この言葉は、とても効きめがありました。

(後に、大きくなった娘が『おかしいな、と思ったけど、

必死に信じようとしてた』と打ち明けてくれました。)

 

下の娘が6年生のクリスマス・イブのことです。

クリスマスは、ここぞとばかりおもちゃを奮発していたのですが、

6年生にもなる女の子に、どんなおもちゃを贈ったらいいのでしょう。

ぬいぐるみや人形なら、たくさん持っているしなあ…と悩みながら、

木枯らしが吹く中、商店街の大きなおもちゃ屋さんに向かいました。

すると、見覚えのある親子連れが、まさにおもちゃ屋さんに入るところでした。

娘の同級生の女の子と、そのお母さんとお姉さんです。

もし、私がおもちゃ屋さんに入るところを見られたら、今までの努力が水の泡です。

私は、とっさに電信柱に隠れました。

 

寒い寒い日でした。

親子連れは、なかなか出て来ません。

親子三人で、楽しそうにプレゼントを選んでいるのでしょう。

そのうち、だんだん腹が立ってきました。

「早く買い物済ませて帰ってよ~。」

怒りの矛先は、娘にも向かっていきました。

「だいたい、サンタクロースを6年生になるまで信じる?」

自分でそう仕向けて置いて、身勝手な母親ですね。

電信柱の影で震えながら、私は決心しました。

「もう、今年でサンタクロースはやめる!」

その夜、大きな赤いビニール袋一杯に、プレゼントを入れました。

手紙と一緒に。

 

クリスマスの日から、冬休みが始まります。

その日、朝から用事があって、私が出かける時間には

娘たちはまだ寝ていました。

出先から家に電話をすると、下の娘が出ました。

「サンタさん、来てた。」

「ほんとう。良かったね。」と私。

「サンタさんの手紙が入ってた。」と娘。

「へーえ、何て書いてあったの?」と、とぼける私。

「英語の筆記体で、バアーッと書いてあったから読まれへん。」

「そうかあ。じゃあ、お姉ちゃんに読んで貰ったら?」と、

どこまでもとぼける私です。

「でも、私だけサンタさんから手紙が来てたら、お姉ちゃんに悪いもん。」

私、もう、胸がキュンとしてしまいました。

「わかった。家に帰ったら読んであげるね。」

 

「This is last present for you.」

で始まる、英語の手紙です。

「私は、ほかの子どもたちのところへ行かなければなりません。

●●ちゃん、大好きだよ。Good bye! サンタクロースより」

読み終わると、娘は何とも言えない表情を浮かべました。

「わたしは、悲しい…。」

そう呟いて、自分の部屋に行ってしまいました。

 

この話には、後日話があります。

すっかり大人になった娘が、「これ、憶えてる?」と

一通の手紙を見せました。

「憶えてるよ。」と言ったら、ニヤリと笑って言いました。

「カンタンな英語!」

 

ほっといてくれる?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

サンタクロースが来なくなった日 ①

クリスマスにはまだ早いけれど、何故か突然思い出して、

今、書かずにはいられなくなりました。

 

サンタさんは、田舎娘の私のところにも

毎年プレゼントを届けてくれました。

プレゼントは、学用品だったり、お正月に着る洋服だったり、

何とも実用的なものばかりでした。

そろそろ新しい靴がほしいな、と思っていると、

ぴったりのサイズの靴が枕元に置いてあったりするのです。

サンタさんって、どうして私が欲しいものが分かるんだろうと

不思議でなりませんでした。

 

「サンタさんなんて、いないんだよ。」と言う友だちを、

「サンタさんが来ないなんて、かわいそうだな。」と同情したものです。

それでも大きくなるにつれ、さすがに「もしかしたら?」と

疑問に思うようになりました。

 

小学校の3年生のクリスマス・イブのことです。

私は、絶対サンタさんの姿を見てやるのだと、必死に起きていました。

でも、目が覚めたら朝でした。

そして枕元には、ちゃんとプレゼントが届いていました。

「ほーら、やっぱりサンタさんはいる!」

他に何があったか憶えていないのですが、

プレゼントの中に、モールで作った造花がありました。

「あれっ?」と思いました。

その造花は、6歳上の姉に、何度「ちょうだい」と言っても

絶対くれなかったものに瓜二つだったからです。

「サンタさんとこにも、同じものがあるんやねー。」と言ったら、

姉が、「そうやぁ」と、(今から思えば意味ありげに)

ニッコリしました。

何だか、腑に落ちない私は、造花の裏を見てみました。

そこには、なんと、私しか知らない小さな痕跡があったのです。

それは、造花が欲しくてたまらない私が、姉がいないときに

付けてしまった痕跡なのでした。

 

その年を最後に、私のところにサンタさんは来なくなりました。

ン十年たった今でも、あの時の気持ちが蘇ってきます。

切ないような、寂しいような、

でも疑問が解けたあとのスッキリした気分も…。

無邪気な子ども時代が終わった瞬間でした。

 

お気に入りの造花をプレゼントしてくれた姉や、

3年生までサンタさんを信じさせてくれた両親の気持ちが嬉しくて、

娘たちにも、一日でも長くサンタさんを信じていて欲しいと思いました。

あの手この手を使ったので、それは大成功だったのですが、

大きくなるまで信じすぎて、困ったことも起きてしまいました。

その話は、またいつか聞いて下さいね。

 

皆さんのところには、いくつまでサンタさんは来てくれましたか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

しみじみと心に沁みる誕生日でした

18日は、誕生日でした。

自分の歳に、改めてびっくり。

ずいぶん大きくなったものです。

家族が揃った前日に、出前のお寿司と大吟醸

ささやかにパーティーをして貰いました。

プレゼントも貰いました。

 

12時になって日付が変わった時、

「あ、一つ歳を取った」と思いましたが、

たいして感慨もなく、朝を迎えました。

この歳になると、誕生日も日常の続きです。

いつもと同じ、何ということのない一日を過ごしていたら、

友だちから「おめでとう」のメールや電話が

つぎつぎにかかって来ました。

電話の向こうで、ウクレレで「ハッピー・バースデイ」を

弾いてくれた友だちもいました。

姪からは、季節のお菓子が届きました。

 

何ということのない一日が、しみじみと心に沁みて

特別の日になりました。

何よりも、私の誕生日を憶えて下さっていたことに感激!

その人の誕生日を憶えていることは、

どんなプレゼントにも勝るとも劣りませんね。
それなのに、私ときたら、

何度誕生日を聞いても忘れてしまいます。

これからは、誕生日を手帳に書き留めて、

「おめでとう!」の気持ちを伝えようと思いました。

 

この歳になると、誕生日なんてちっとも嬉しくない、

と思っていましたが、間違っていましたね。

今年も無事に誕生日を迎えられたことを感謝して、

新たな一年を、心して過ごそうと思ったことでした。