私、まじょねこは、童話を書いています

何か新しいことに挑戦しようと、

軽い気持ちでブログを始めて、

ちょうど100日が過ぎました。

いつ止めようか、と迷いながら書き綴ってきましたが、

楽しみに読んで下さる方がいることを知り、

もうしばらく続けてみることにしました。

いつも読んで下さって、ありがとうございます。

 

ブログを続けると決めたのなら、

これからは、童話の魅力を伝える記事も書こう、

その義務が私にはある、と思いました。

 

実は(と、言うほどのことではありませんが)、

私は、童話を書いています。

隠していたわけではないのですけど、

何だか、そのことをブログに書く勇気がありませんでした。

まったく、なんなんでしょうね、いい歳して*1

 

ああ、でも、言ったらすっきりしました!

 

これからは、いいと思った本についてや、

童話の書き方なども書いていこうと思っています。

時々、私の本も紹介させてくださいね。

 

 

 

 

 

 

 

*1:+_+

ボランティアの尾畠さんに感銘を受けました!

暗いニュースばかりの昨今、

行方不明だった2歳の男の子が

無事に発見されたニュースは、

久々に聞く明るいニュースでしたね。

山の中で、ひとりぼっちで三日間も耐えた

よしくんの精神力、生命力もすごいけど、

よしくんを発見した尾畠さんの言動に、

日本中が感銘を受けたのではないでしょうか。

 

私が最も感銘を受けたのは、よしくんを救出したあと、

お祖父さんから、お風呂などを勧められても

きっぱりと固辞されたことです。

対価や飲食などは一切受け取らない、という信念は

微塵もゆらぎませんでした。

もし、私が尾畠さんの立場だったら、

家族の方たちの気持ちをいただいて、

お茶ぐらいはごちそうになったと思います。

そこが尾畠さんと凡人の、大きな大きな差なのでしょうね。

 

ボランティアというと、偽善だとか

自己満足だと言う人がいます。

実は、私も、ボランティアを始めるまでは
そんなふうに思っていました。

「ボランティアは、自分のため」という言葉を、

ちょっと斜めに聞いていたのです。

 

あるボランティアに誘われた時、

私は、ボランティアをする資格があるだろうか…

と、葛藤しました。

自分のことで精いっぱいなのに、

人の役に立つようなことができるだろうか、と。

 

でも、葛藤しながらも、

ボランティアを続けていくうちに、

「ボランティアは、自分のため」ということを

実感しました。

自分のささやかな行動を喜んでくれる人がいる…。

「ありがとう」と言われた時のうれしさ…。

対価を求めないからこそ得られる喜びが、

ボランティアにあったのです。

8年間続けた、二つのボランティアで得たものは、

私の大切な宝物になりました。

 

 

日に焼けた尾畠さんの笑顔は、とても魅力的ですね。

それにしても、本当に78歳?

残暑お見舞い申し上げます

お盆が終わりました。

お墓参りには行かれましたか?

 

我が家のお墓は、大きな霊園の一角にあります。

炎天下のお墓は、日陰もありません。

ちょっと草むしりしただけで、汗が吹き出しました。

でも、綺麗に掃除して、お花を供え、

お線香とローソクを灯して、手を合わせると、

何とも清々しい気持ちになるものですね。

亡くなった人を偲ぶお盆は、

自分の人生を見つめ直す時間なのかもしれません。

 

お盆だからでしょうか、

ふと、こんなことを思い出しました。

ずいぶん前のことなので、それがどこのお寺だったか

憶えていないのですが、

友人3人で、戒壇巡りをしたことがあります。

戒壇巡りは、胎内巡りとも言われ、

真っ暗闇の通路をくぐり抜けることで、

穢れが落とされるというものです。

 

言い出しっぺなので、しかたなく私が先頭になり、

ダンゴ3姉妹のように連なって、恐る恐る中に入りました。

初めて体験する真っ暗闇に、引き返したくなりましたが、

後ろから押されるので、前に進むしかありません。

全く何も見えないので、手探りで壁をつたっていきました。

初めは、3人ともヒャーヒャー言っていましたが、

真の暗闇に押しつぶされそうで、

次第に無言になりました。

 

しばらく進んでいくと、針の先ほどの小さな光が見えました。

その時は、ほんとうにホッとしました。

私たちは、その光を目指して、前に進んで行きました。

再び光の中に戻った時、ちょっとオーバーですが、

「胎内巡り」して、生まれ変わったような気持になりました。

 

当時、私には悩み事があって、暗闇にいるような気分でした。

そんな時に、戒壇巡りで見たあの光は、

漆黒の暗闇の中の、文字通り「一筋の光」のように思えました。

こじつけかもしれないけど、あの光は「希望」だったと。

どんな真っ暗闇でも、小さな希望があれば、

前を向いて歩いて行けると思ったのです。

 

あれから、いろんなことがありました。

これからも、いろんなことがあるでしょう。

でも、小さな希望の光があれば、

それを目指して歩いて行こうと思っています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

メダカの赤ちゃんが生まれました!

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昨日、小さな、小さな、小さな、メダカの赤ちゃんが生まれました!

何も写っていないように見えますが、ちゃんといますよ♪

 

先日、睡蓮鉢のメダカの水を変えていたら、

お腹のところに、卵らしきものがくっついている黒メダカに気が付きました。

よく見ると、大きなお腹をしたメダカもいます。

メダカの先輩に、

「メダカは、ホテイアオイの根っこなどに卵を産むので、

別の容器に移しておくように」と言われていました。

親メダカが、赤ちゃんメダカを食べちゃうのだそうです。

さっそく、ホテイアオイを金魚鉢に入れて観察していました。

 

2.3日待ちましたが変化がなく、あきらめていたところ、

光を通した金魚鉢に、何やら動くものが!

まあ、なんとも小さな赤ちゃんメダカが、

ツンツンと泳いでいたのです。

当たり前ですが、

メダカも小さいけれど、赤ちゃんメダカって

びっくりするくらい小さいんですよ。

何ミリかな?

小さすぎて、よく見えません(*^_^*)

当然、口も小さくて餌も食べられないので、

グリーンウォーターといって、

緑色になった水で育てるといいと

ネットに書いてありました。

 

今、メダカがブームだそうですが、

ブームになるのが分かります。

旺盛な食欲のせいか、生命力も強そうですし、

近づくと水面まで上がってきたりして、

見ていて飽きません。

ろ過装置もいらないので

とても飼いやすい魚です。

 

子どものころ、家の前の川で、

タオルでメダカをすくって遊んだものです。

それが今では、

一匹、何万円もするメダカがいるとか。

希少価値の値段なのでしようね。

いったい、どんなメダカなのか

見てみたいです。

 

でも、私にとっては、

きのう生まれた赤ちゃんメダカが、

どんな高価なメダカよりも価値があります。

 

ちゃんと育ってくれますように。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

俳句ブームです

木曜日、午後7時から放送の「プレバト!!」の

俳句コーナーを、毎週欠かさず観ています。

夏井先生の胸がすくような辛口の添削は

とても勉強になりますし、

出演者との丁々発止のやりとりが楽しいですね。

若いアイドルや、芸人さんの新鮮な発想の俳句に、
「座布団2枚!」と呟いたりしています。

 

こんなに俳句がブームになる前、

私も2年ほど、俳句のサークルに入っていました。

入っていた、と過去形なのは、

才能がないのに気づいて辞めてしまったからです。

 

入会した当初は、

いくらでも句が浮かんできましたし、

昔のお兄様お姉様たちが、

「若い人の感覚はいいねえ」と褒めて下さるものだから、

「若い」なんて言われなくなって久しい私は、

すっかり調子に乗って、駄作を連発していました。

でも、今から思うと、

あれは昔のお兄様お姉様たちの、優しさだったんですね。

季節が二巡目に入ると、ビギナーズラックも枯渇して、

ついに辞めてしまったのでした。

 

でも、今でも俳句を読むのは好きです。

たった17文字なのに、壮大な宇宙も、深海も、

心の奥底だって表現できてしまう。

たった17文字だからこそ、

読み手は、詠み手の描く世界を想像します。

こんな文学が他にあるでしょうか。

 

こんな事を書いていたら、

また、俳句を始めたくなりました。

でも…。

  

先日、瀬戸内寂聴さんが、

初めての句集「ひとり」を上梓されましたね。

体調を崩して入院されたとき、

「小説は書けないけど、俳句だったら短いから書ける」と

詠んだ俳句をまとめて、自費出版されたそうです。

 

確かに、俳句は、紙も鉛筆もいりませんね。

ベッドの上でも、

心をどこへでも飛ばすことが出来ます。

私もいつか、そんな日が来たら、

俳句を作ろうと思います。

その時の楽しみに、

俳句をとっておくことにします。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

勝つより負けるほうがおもしろい

アメフトの危険タックルから始まった日大の問題が

くすぶり続けている中、

連日、ボクシング連盟のゴタゴタのニュースが流れています。

少し前には、女子レスリングのパワハラ問題が

大きな話題になりました。

「蟻の一穴」が開いたように、次々に

スポーツ界の問題が噴出しています。

 

そんな中、バトミントンの桃田選手の

世界選手権での金メダルのニュースは、

一服の清涼剤のようでした。

 

しかし、ご存知のように、桃田選手は、

決して清廉潔白だったわけではありません。

事件を起こして世界ランキング2位から転落。

一年以上の謹慎処分を受けて、

再び戦いの場に戻ってきた選手です。

どれほどの葛藤があったか、

想像に難くありません。

だからこそ、今回の金メダルは

価値があると思うのです。

  

完全無欠のヒーローの話より、

挫折を知り、そこから立ち上がる話を私は聞きたいし、

そういう物語を書きたいと思います。

スヌーピー」の作者、
チャールズ・シュルツさんが言っています。
「勝つより負けるほうがおもしろい」と。

 

少し話は逸れますが、

こんな絵本を読んだことがあります。

動物たちの運動会のかけっこで、

足の遅いネズミくん(だったかな?)を待って、

ゾウやクマたち、みんな手をつないで

ゴールするというお話でした。

初めて読んだとき、私は

何て友だち思いの美しい話だろう、と思いました。

でも、何だかモヤモヤしたものが胸に残りました。

 

はたして、ネズミくんは嬉しかったでしょうか。

本当の気持ちは、ネズミくんにしかわかりませんよね。

もし私がネズミくんだったら、

みんなに待ってて貰ったことに、
「ありがとう」より「ごめんね」と言うでしょう。

かっこ悪くても、悔しくても、みじめでも、

私は、堂々とビリになりたいです。

 

今、幼稚園や小学校では、

勝ち負けは避ける傾向にあるようです。

生活発表会の劇でも、主役を何人かで演じたりして、

とにかく、みんな平等に、ということなのでしょう。

みんな平等、それは素晴らしいことです。

でも、現実はそうはいきません。

社会に出たら、脇役に回ることもあるだろうし、

負けてばっかりと言うこともあるでしょう。

 

負けて学ぶことがあることを教えるのも、

大事なことではないでしょうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

人生は花火のようなもの?

昨夜は、各地で花火大会が催されました。

私の住む街でも、毎年8時から30分間、

花火が打ち上げられます。

今年も、例年のように蚊取り線香を焚いて、

二階のベランダから、娘とふたりで

鑑賞しました。

 

700発の小規模な花火大会ですが、

新作もありますし、

遠くの街の花火も小さく見えて、

同時に二つの花火が観られ、得した気分。

 

芥川龍之介の「舞踏会」という小説があります。

(若い頃に読んだので、細かいところは

微妙に違うかもしれませんが)

明治時代の鹿鳴館での舞踏会。

若くてきれいな令嬢が、フランス人の将校と

ダンスをします。

そのあと、バルコニーに出て花火を観ます。

将校が令嬢に、こう言うのです。

「花火は、我々のヴィ(命)のようだ」と。

 

この小説を読んだときは、

すぐ消えてしまう儚い花火と、

人生を重ねたのだと理解したつもりでした。

でも、まだ若かった私は、この意味を

本当には理解していなかったのだと思います。

 

最後の花火が打ち上げられたあと、

時間差でバリバリと音がして、

煙が夜空に溶けました。

「これから何年、母さんと花火が観られるかなって
いつも思う。」と言った娘のひとことに、
しんみり…。

 

でも、花火という夢のあとに残ったものは、

意外なことに、虚しさではありませんでした。

人生の花火が消える前に、

やりたいことをやるぞー、っていう気持ちでした。

 

南東の空には、まだ大接近中の火星が。

思い出しました! 

子どものころ、顕微鏡と天体望遠鏡

欲しくてたまらなかったっけ。

さっそく、オークションで天体望遠鏡を検索しました。

 

でも、一晩寝たら、冷静になりました。

天体望遠鏡

どうしようかな…。